モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

痛風は「そろそろ体のケアをしろよ」というメッセンジャー


40歳の頃から、時折、痛風発作に襲われるようになった。

最初、足の指や足首に、疲労感のような違和感がやってくる。そのレベルで翌日には消えてしまうこともあるが、多くの場合はそれが痛みに変わっていく。足が赤みを帯び、ひと目でわかるくらいに膨れ上がる。ピーク時には歩くことはもちろん、両足で立ち上がることさえままならない。そんな状態は数日で収まることもあれば、一週間以上続くこともある。

そんな、痛風発作にもかなり慣れてきた。最初の兆候が訪れると、「お、来たな」という感じでそんなに恐れはないのだが、やっぱり憂鬱になる。僕の場合、痛風発作がやってくるのは、飲酒や食べ過ぎという栄養(プリン体)のとりすぎではなく、仕事のストレスや季節の変わり目といった体調変化によるところが大きい。(痛風になったというと、多くの人は「贅沢な暮らしをしているからだろ」という非難の目を向けるのだが、そうではないのだ、むしろつらい生活をしているためなのだ、と強調しておきたい)


痛風のピーク時は、とにかく活動が低調になる。痛みを堪えながら歩くスピードは、平常時の五分の1くらい。足が腫れ上がっている時は靴も履けないから、外出する気も失せる。仕事はそうそう休めないから、痛みを堪えながらオフィスには行くが、到着したらできるだけ席を立たない。足を上げたり、冷やしたりしながら、ただ痛風の嵐が通り過ぎるのを待つのみだ。食欲もないし、栄養のあるものを食べると長引くので、食事も低カロリーで野菜中心の、超健康的なものになる。

痛風の期間は、疑似入院しているようなものだ。あるいは、被介護者になる。もちろん、家族には不評だ。


そんな生活になるので、逆説的に言うと、痛風になると健康的になるとも言える。不規則な生活と長時間の仕事が続き、疲労やストレスが溜まり、栄養が偏ってくると、「そろそろ体のケアをしなよ」という感じで痛風発作がやってくるのではないだろうか。自分の体が、体のメンテナンスをするために、痛風発作というメッセンジャーフィクサーを派遣してくれているのだ。

たしかに痛風発作中はもちろん、それからしばらくの間も、食事や睡眠に気をつけるようになる。体重は落ち、栄養のバランスはよくなる。健康的になる。

たまには体に目を向けるように、痛風発作が教えてくれているようだ。そう考えると、痛風も、その他の病気も、自分の体の異常を教えてくれるサインと思え、変な言い方だが、愛おしさも感じる。


もっとも、理想的なのは痛風もその他の病気も、やってこないに越したことはない。自己管理がしっかりできる意志の強い人は、めったに病気になることもないのだろう。意思が薄弱な、僕のような「劣等生」は、たまにショックを与えないといけないのだろう。そう考えると、痛風に同情もしたくなるし、痛風に申し訳なくさえ思う。

そんなおべっかを使っても、痛風発作の痛みは和らがない。

勝手に貧しくなっていく日本

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10年前、大手建築設計会社に務める友人にこんな話を聞いた。その友人は、手がけていたマンションのCG制作を中国のCG会社に発注した。ところが、できあがってきたCGを見るとどうも違和感がある。たとえば、中庭にあるはずのテニスコートがテニスコートに見えない。コートらしき場所の上にプレーヤーらしき人たちはいるが、どうもテニスをやっているように見えないのだ。そこで彼は、そのCGを作ったクリエーターになぜこうなったのかを聞いてみた。すると、そのクリエーターは決まり悪そうに、実はテニスを見たことがないんだ、と告白したのだそうだ。

その時、友人は、文化レベルに関わるものは、制作コストの安さだけじゃなくて、ある程度豊かなくらしをしている人に作ってもらわないとだめだよな、と言った。


そんな笑い話から10年たった今、中国人と仕事をして同じような経験をすることはほとんどなくなったと思う。それどころか、中国は今や、アジアの映画産業の中心は自分たちだと自負するまでになり、センスのいい映像を世界に発信している(日本の映像関係者は認めないかもしれないが)。


コンテンツ業界でそういう変化を見聞きしながら僕が実感するのは、(国の間の文化の違いがあることは前提とした上で)海外と日本の間で、CGや映像の制作技術の差はもちろんのこと、その背景にある作り手の「豊かさ」の差もどんどん縮まっている、ということだ。いや、すでに追い抜かれているかもしれない。(実は「しれない」という表現は、日本人としてそれを認めたくない気持ちの現れであって、本音ではすでに「追い抜かれている」と思っている)


これは、コンテンツ業界だけのこととも思えない。


上の記事からも読み取れるように、過去、日本の経済的繁栄を支えてきたのは日本人の勤勉さだ。勤勉さとは、真面目さと長時間労働の掛け算だと思う。つまり、人の資質と努力に頼ってきたのだ。

真面目さも労働時間も、当然限界があるわけで、ある豊かさから、さらに上に行くためには、社会全体の「構造転換」が必要になる。仕事の流れや流通のしくみといった経済構造の中から無駄を省き、それによって余ったリソースをまだ生産性が低い仕事の改善や新しい分野の開拓にむけることが、未来の豊かさの種になるのだ。


ところが、1980年代の終わりから1990年代初めに日本の経済が栄華を極めた後、長期間にわたる経済の凋落が続く中でも日本は、今までの大企業中心の(政治力を含む)「人力」に頼るしくみを大きく変えることはなかった。未来の豊かさに向けて新しい芽を育てることを怠ってきたのだ。その結果、現代の社会を支えている重要な分野ーたとえばコンピュータ・AI、携帯電話、自然エネルギーなどーも、日本は技術開発で先行していたにも関わらず、「社会実装」=すなわち、人々の豊かさに直結する最終フェーズで、その多くは撤退するか、遅れを取ってきた。コンピュータもスマートフォンもその他の新しい製品も、今や日本は海外製品のユーザーになってしまった。このことは、日本がすでに下請けになっていることの現れだ。


そして、まだ日本がかろうじて世界最先端にいると思われている分野—ロボット、材料開発などーも存在感はどんどんなくなっている。これは僕の憶測ではなく、その分野にいる専門家に聞いたことだから、そんなに間違っていないと思う。


こういう状況でも、日本はこの先も大丈夫、日本はまだ経済大国だ、と言える根拠がどこにあるのか、僕にはまったくわからない。



そして、もうひとつ「豊かさ」について考えなければいけないのは、豊かさは相対的なものだということだ。たとえば、1000年前の人々と比べれば現代人のほとんどは相対的に豊かなはずなのに、人々は今現在でも「俺は豊かだ」「私は貧しい」と感じてしまう。卑近な例で言えば、自分の年収は変わらなくても、隣の人の年収が増えれば、貧しく感じるのと同じことだ。


この記事でも「『相対的に日本だけがどんどん貧しくなっていっている』ように映っている」と表現しているように、貧富は相対的である。さらに言えば、経済というもの自体がある意味「相対的」なものだと思う。先進国だけでなく、アジアやその他の新興国の伸びよりも、日本の伸びが小さければ、それは「日本は貧しくなった」と実感されるだろう。さまざまな経済指標がある中で、どれを見るかで「豊かさ」は変わる。「貧富」は「幸福度」と同じく、最終的には人々の実感で測るしかない、と僕は思う。その意味で、日々豊かになっている、と感じる日本人はいったいどれくらいいるだろう?


「相対的に貧しくなっていく日本」について、僕が実感するのはそんなことだ。僕は経済の専門家ではない。けれども、古い下町で、小さな会社を経営者する身として、様々な属性の人たちと会っている方だと思う。そういう日々の体験からくる、危機感、といっていいかもしれない。


ただ、付け加えたいのは、日本がこれから海外の下請けになることは、そんなに悪いことではないとも思っている。なぜなら、海外の下請けになることによって、自分たちがおかれている環境を、より広い視野で客観的に実感できるし、たとえ下請けであれ、中小企業の多くが直接海外と取引するようになれば、意識は確実に変わると思うからだ。それは本当の意味での日本の「開国」につながるかもしれない。

そうなれば、制度疲労を起こしてもなお、ごまかしながら維持し続けている古い仕組みを破壊し、一部の人たちだけの豊かさが、国民全体の豊かさに変わっていく時代が来ると期待できる。


なお、僕は現存する社会の仕組みをすべて破壊しろ、とアナーキーなことを言っているのではない。人々の意識が変わり、真の「開国」が実現できれば、まずいものは自然に崩壊するし、逆に、良いものは海外に出ていくチャンスも増えるはずだ。そのような全体最適化が行われると期待しているのだ。

今行われようとしている、政府が旧来の利権と癒着し、恣意的に行う「自由化」は、真の開国ではないし、ほんものの豊かさにつながることではないと思う。トップダウン、すなわち政府主導の豊かさ改革ではなく、ボトムアップ、すなわち国民から自発的に産まれる動きを社会全体に広げる改革を一国もはやく実現しなければならない、と思っている。


最後に、僕が思う、もっとも恐ろしいシナリオは、将来、日本の豊かさが改善されない一方で、海外から日本へ下請けの仕事さえ来なくなり、日本が世界から孤立してしまうことだ。その状態は、庶民が「豊かか貧しいか」と評価することさえできない、まるで太古へ逆戻りしたような閉ざされた社会だ。そんな未来だけは避けたい、と強く思っている。

雑感2017年4月

4.1
来年からエイプリルフールは「今日くらいは本当のことを言ってもいい日」、にしたらいいんじゃない?
「エブリデイフール」にサヨナラだ!


4.2
嘘と脳の関係。たいへん興味深いです。

「人間は嘘をつく生き物」…澤口俊之氏が明かす嘘を言うメカニズム | ホウドウキョク


4.2
ビタミンC投与によるがん治療について。そのメカニズムについて知りたかったので、参考として。

4月2日:ビタミンCによるガン治療(4月10日号Cancer Cell掲載論文) | AASJホームページ


4.3
天皇教育勅語の復活なんて望んでおられないでしよ。
つまり現政権は反民主主義であるだけでなく、反天皇。左翼でも右翼でもない、先例のないカルト宗教政権。マジ怖い。

教育勅語、肯定の動き 安倍内閣閣議決定:朝日新聞デジタル


4.4
こういう貴重な警鐘に耳を傾けなくなったら、本当に終わりだよ…。 自分の非を認めないのが強い人間だと誤解している奴がトップにいるなんて、最悪。あ、一般論ね。

小澤俊夫氏が警鐘 「共謀罪で言論の息の根が止められる」 | 日刊ゲンダイDIGITAL


4.5
現在の僕の「考え方」の基盤を与えてくれた一人が、ティム・バーナーズ=リーです。 僕が、SNSの投稿を基本的に「公開」にしているのも、考えたことや調べたことをできるだけブログとしてオープンにしているのも、ティム・バーナーズ=リーに感化されてのことです。

MIT Tech Review: Webの発明者ティム・バーナーズ=リーがチューリング賞を受賞


4.6
先日行ってきたSXSW、たまにうちの展示について書いてくれた記事を見つけると、やっぱり嬉しいものです。 広告代理店や大企業関連の記事が優遇される世の中で、こういうインデペンデントな人たちが自発的に書いてくれる評価は特に! “First up was the Virtual Drone exhibit, which a fairly unassuming Japanese company, Xooms, had developed and was showcasing in the exhibition hall. Here you could fly a virtual 3D drone around the hall and shoot at objects that would explode in the air around you. This worked by fixing stereo cameras to the external casing of the VR headsets (look closely at the photo below) and then combining the virtual overlay with the video feed of the real world environment creating a pretty seamless mixed reality experience. The thing that’s surprising about all this is that a U.S company called Magic Leap raised USD$1.4B off of the back of a special effects video which implied they had already built similar tech. We’ve all since discovered they’re far from it. Meanwhile Xooms has got on with building it. Something tells me the guys at Xooms deserve much greater attention in the Valley!”

SXSW Interactive 2017 Highlights – Ned Moorfield – Medium


4.7
未来に悲観的な人は、自分の予測が当たった時、嬉しいのだろうか、それとも悲しいのだろうか。
SHARPが言うと説得力が違うぜ!「起きてもいない不安を煽る人」とのかかわり方 | CuRAZY [クレイジー]


4.9
今週、ちょうどこの本を読んでいた。
チョムスキーが「告発」し続けてきた、米国における政権とメディアの情報操作。
ちょっと長いけど、辺見庸によるチョムスキーへのインタビューから一部を引用。(追記:このインタビューが行われたのは、米国によるイラク侵攻の前です)
「賢者は歴史に学ぶ」という言葉もあったな…。

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「メディア・コントロール」

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メディアが時の政治と結びついてきたことは、だれでも知っている。現在の日本の首相は、自分が攻撃されるとすぐに「印象操作」「レッテル貼り」と反論するが、それは裏返せば、「メディア・コントロール」は政府の専売特許であり、他の人たちが同じ方法を使うのは許さない、という本音の現れなのだろう。

ぼくたちが日頃感じている、政府とメディアがぐるになった「印象操作」について、早くから、緻密に、そして、おそらくもっとも強烈に告発してきた知識人は、ノーム・チョムスキーをおいて他にはないだろう。誰にとってもメディアを敵に回すのは恐ろしいことだ。しかし、チョムスキーは(少なくとも表向きには)まったく意に介さない。彼は常に真正面から、政権とメディアの癒着と欺瞞について告発してきた。

残念なことながら、チュムスキーの告発はすでに、警鐘の段階を越えている。ベトナム戦争以後、一時的な改善はあったとしても、メディア・コントロールは全体としてさらに酷い方向に進み続け、「平和」という言葉でごまかされた「侵攻」が、今また起ころうとしている。そして、日本人として何より悲しく、恐ろしいのは、チョムスキーが告発し続けてきた「メディア・コントロール」という病に、日本はすでに「感染」し、ついに「発症」しようとしていることだ。

チョムスキーは、「メディア・コントロール」と戦えるのは知識人ではなく、市民だという。実際、米国ではベトナム戦争湾岸戦争への反対活動は、知識人ではなく、市民から生まれてきた。チョムスキーのこの指摘を見て、日本人として最悪だと思うのは、メディアを巻き込んだ米国政府の暴走を食い止める役割をになってきた市民の意識が、日本ではまだ十分育っていないことだ。

戦後、日本は米国の後追いを続けてきた。であれば、米国の抱える根本的な課題もまた継承する運命にある。政府とメディアの闇に少しでも光を照らす、「市民の覚醒」についても一刻も早く米国を後追いしなければならない。


少し長くなるが、作家、辺見庸によるチョムスキーへのインタビューから、ブッシュ大統領が一般教書演説で「悪の枢軸」という表現を使ったことについて質問した箇所から、一部を引用しておく。

ブッシュ大統領はおそらく、「枢軸」の何たるかを知りもしないでしょうね。しかし演説原稿を実際に起草するライターは知っています。北朝鮮とイランとイラクの関係が枢軸などではないことは十分すぎるほど承知している。(第二次世界大戦中の)東京とローマとベルリンの関係と同じではない。イランとイラクはもう20年も敵対関係にある。北朝鮮がこれに加えられたのは、ただほかのイスラム社会に、悪いことは何でも自分たちに押し付けられるという印象を持たせないようにするためです。だから北朝鮮が入ったんです。
 
 スピーチライターが悪の枢軸という表現を原稿に加えてブッシュにいわせたのは、国内の聴衆を意識してのことです。ジョージ・ブッシュのマネジャーは大変です。非常に厄介な問題に対処しなければらないんですから。政府が国民に対してやっていることに、アメリカ国民の注意が決して集まらないようにしなければならない。政府は国民に非常に深刻な損害を与えているのです。9月11日を冷徹にも絶好の機会として、国内の人々への攻撃を強めた。富裕層対象の減税や軍事費の膨張は必然の結果をもたらしています。例えば、一般の人々に対する社会政策費は削られている。これは、すでに限られたものでしかない社会援助をさらに痛めつける攻撃です。こうまで痛めつけられては、政策を維持することはできないでしょう。そういう事実から、国民の目を逸らしたい。(エネルギー会社最大手の)エンロンが税金を払っていなかったという事実から、国民の目を逸らしておきたいのです。

 エンロンの問題で肝心なのは、何年もの間税金を払っていなかった、それが問題なのです。なぜ払わずにすんだのか。政府が、金のある強力な企業が税金を逃れられる仕組みを作ったからです。そう、これもまた、権力者による一般大衆への攻撃です。いまの政府は以前にもましてたちが悪い。そしてまた政府は、今日の石油会社を利するためなら、明日の子どもたちが生きる環境を破壊してもまったく平気だという事実に、国民の注目が集まらないようにしたい。それがジョージ・ブッシュの政府なのです。孫の代に環境がどうなっていても意に介さない。今儲けることが大事なんです。

 しかし人々は意に介します。人々は孫たちに地球を残したい。だからこそ、政府はそこに注意を引きたくないんです。完全に逸しておきたい。ワシントンでは国民に対する大掛かりな攻撃が行われている。そこに人が目をむけないように、どこか別のところを向いていてほしい。どうすればいいか。恐怖に陥れればいいんです。人々をコントロールする最良の方法は恐怖を利用することです。だから、もしも我々を滅ぼそうとしている「悪の枢軸」が存在するならば、人々は恐怖に怯えて四の五のいわず、指導者のいうがままになり、指導者が人々にしていることにいちいち神経を尖らせることはあるまい、とこのようにかんがえているのです。


メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)

メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)

金持ちになりたいのなら、人脈は邪魔かもしれない

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blogos.com


人間の価値観にはいろいろあれど、本心で「お金」を否定できる人はなかなかいない。つまり、貧乏にはなりたくない、金持ちになりたい、というのは、世の中のほとんどの人に共通する願望だ。

でもどうやって?

そのヒントを教えてくれるのが、この記事だ。


この記事によれば、「貧乏人は、1)人脈、2)狡猾さ、ズル、3)初期資本の存在などを重要視し、8)能力、才能、7)幸運、強運、6)努力などを軽視する傾向」にあり、「一方、金持ちは1)努力、2)学歴、資格、3)企業家精神、勇気などを重視し、8)人脈、7)狡猾さ、ズル、5)幸運、強運及び能力、才能に重きを置いていない」という。 


むむ、僕たちは日々、「ビジネスはまず人脈」というドグマを繰り返し聞かされているではないか。今まで信じてきた「真理」はどうなるのだ!?


「人脈」の正しい定義はさておき、この調査結果を見て、金持ちはそもそも「人脈」に対する考え方が違うのかもしれないと思った。


ただ知り合いが多い(SNSでいえば「友だち」が多い)ということが「人脈」ではないことは明らかだ。知っているけど何も与えてくれない人が100人いるより、深く付き合い、何かあった時に助けてくれる人が一人いたほうがいい。広さより深さなのだ。

たしかに、そういう深いつながりは、「人脈」と読んでいるものとは違うものかもしれない。いわゆる人脈は、成功の結果であって、成功の方法ではない、ということだ。人脈があるから成功するのではない。成功すれば人脈ができる。



もうひとつ別な解釈を。それは、人脈は目標の達成にとって、時にじゃまになるのかしれない、ということ。

多くの人と知り合うことで、自己の信念や独創性が弱まってしまう、ということもあるのではないだろうか。他人に助けてもらうために「他人の目線」に立ちすぎると、本来自分がやりたかったことを妥協したり、方向を変えたりしたりせざるを得ない。それによって、そのビジネスに対する「思い入れ」や「信念」が損なわれ、結果として大きな成功に結びつかない、と言えないだろうか。

とんがったアイデアを思いついたなら、自分ひとりでやるのが一番なのだ。


たまに、「いいアイデアが見つかったら絶対他人に相談するな。自分で一人でやれ」と言う人に出会うことがある。人間としては偏狭かもしれないが、実は成功への真理に気づいている人なのかもしれない。


誤解や盲目は、強力なエンジンになる。逆いいえば、誤解や盲目がなければ、「世間の目」に屈服するのが人間の本性なのだ。

森友問題が「下世話な問題」だからこそ生まれた失望と不信感

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昨日の続きとして、もう少し。

この小田嶋氏による記事、今回の騒動の本質をズバリ言い当ててると思う。


そう、森友問題は下世話な問題だ。

そんな下世話な問題に、強弁と隠蔽とはぐらかしを重ね続け、自分で墓穴を掘っていく政府への失望と不信感。それこそが、この騒動から一般人が感じる、正直な感想だと思う。


この政府は、こんな「小さな」問題にも慌てふためき、落ち着いて処置できないのか、という失望。

この政府は、他のももっと重要な(すなわち「下世話」ではない)問題でも、トップ官僚・メディアとグルになって、ずっと嘘をつき続けてきたんだろうな、という不信感。



昨日も書いた通り、この問題の焦点はある時点から、教育方針とか100万円の寄付とか国有地の不明瞭な払い下げとかじゃなくなったわけだ。

問題の本質は、こんな政府・官僚がトップで政治を行っていて大丈夫なのか?という疑念と不安なのだ。

少なくとも、この政府には安全保障やテロ対策、外交なんて怖くてまかせられないよね、まかせちゃだめでしょ、と言う、ある種の「確信」が一般庶民に生まれてきている。それが、この騒動の「成果」だろう。


その意味では、森友問題はもはや、下世話な問題じゃないのかもしれない。

「たったひとりの国家公務員(昭恵氏付職員)に森友事件の全責任負わせる卑劣な安倍政権」にまったく同感

森友問題、そして籠池氏の証人喚問。最初はたいして関心なかったんだけど、最近はメディアの報道で「切り貼り」されたものは信用できないので、ナマのやり取りを観て自分で考えたいと思った。それで、籠池氏の証人喚問を録画して、ほぼ全部のやりとりを観てみた。

もちろん、一人の証人喚問を見ただけで、事件の真相はわかるものではない。謎はますます深まるばかりだし、おそらく籠池氏にも落ち度はあるのだろう。

ただ、やり取りの全体を観て、そういう喚問の本筋とは少し違うところで、強く印象に残ったことがある。というか、ものすごく怒りを覚えたことがある。


それは、現場で(おそらくは上司の指示の下)忠実に職務を果たしている現場の公務員に、平然と全責任を負わせる総理と官房長官。そして、同じ公務員が切り捨てられるのを観ながら、抗議することもなく、ひたすら自分と自分の組織の保身に走るトップ官僚たちだ。

これは酷い、酷すぎると思った。ブラック企業より、はるかにブラック。


籠池氏がおかしなことをやっていようが、大阪府知事が関与していようが、民進党があいかわらず頼りなかろうが、それらとは別の問題として、あのような政府・トップ官僚に、安全保障やテロ対策を絶対任せてはいかんわ。ブラック企業の規制より先に、自分たちを規制し、処罰してほしいわ。

過労死やパワハラは、こういう人がいるから起きるんだよ。そういう人たちがトップにいるんだ、この国は。そりゃ、日本は息苦しくなるよ。


毎日、それぞれの現場でそれなりに働いている人なら、とりわけ、上司の指示や顧客のクレームを真摯に聞いて、誠意を尽くして頑張って働いている人ほど、憤りを感じるはずだ。あの証人喚問を、変な色眼鏡をかけずに素直に観れば。


それでも現政権を応援している人たちは、とにかく総理を擁護するのだろう。でもね、あの証人喚問の一部始終をしっかり観て、一人の人間として考えてほしい。

今回彼らは、ノンキャリアの官僚の人権なんてどうでもいいというメッセージを、国会の場で堂々と発したのだ。ましてや、僕たち一般人のことなど、真面目に考えているはずもない。



「あれは谷さん個人でやったことだ」と信じる心の底からナイーヴな人には、いくら言っても仕方がないことかもしれないけどね。


ということで、下の記事にはまったく同感。


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籠池氏証人喚問

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